「ふえっっくしょん!」


静かな室内に響いた盛大なくしゃみに、窓の外を見ていた猫娘はあらあらと口元に手をあてて、鬼太郎の方を振り返った。
先ほどまで惰眠を貪っていた鬼太郎は、自らのくしゃみに起こされ、恨めしそうに鼻をすする。


「寒かったかしら。窓、閉める?鬼太郎さん。」


猫娘が問うと、鬼太郎はふるふると首を横に振った。少しなまぬるい室内に、窓からふきこむやわらかな風は心地よく、かすかに花のにおいがする。とても理想的な昼寝空間で、鬼太郎は鼻をすすりながら誘われるように目を細めた。窓の外を見なくてもわかる、連綿と咲く色とりどりの花々と、緑の葉を揺らす春の森の音が、すぐそばで聞こえるようだった。とろとろと鬼太郎の意識がまた、落下しそうになり、


「ふ、ふ、ふ、ふえっくしょおん!」


ふたたび鼻を襲ったくすぐったい衝動に、鬼太郎の背中が跳ねた。再び鼻水が鼻腔を満たし、息苦しさに少しむせる。
猫娘がまあまあとちり紙を鬼太郎に手渡すと、鬼太郎はありがひょ、と受け取ったちり紙でおもいきり鼻をかんだ。


「風邪かしら?」


猫娘が首をひねるが、鬼太郎は首を横に振った。なにせ、おばけには病気も何にもない。そうよねぇ、と、猫娘がまた首をひねる。


「…花粉症?」
「…おばけが、花粉症?」


ふえっくしょん、さっきより規模は小さいが、くしゃみが再び鬼太郎を襲う。うう、とうめきながら、さらにちり紙に手を伸ばす。猫娘はうーん、とぐるりと室内を見渡した。窓からは相変わらず、心地よい風がゆるくふいてきている。外でお昼寝もいいかもしれない、なんてのんきなことを考えながらふと、窓から差し込む陽光を見ると、


「…あら?」


きらきら、ふわふわ、輝く何かがゆっくりと室内を漂っていた。影に流れれば見えなくなるそれは、もちろん花粉なんかではなく、


「…ほこり?」


猫娘が首を傾けると、鬼太郎が再びはっくしょん、と同意のようなくしゃみをした。
猫娘は部屋の隅へ行き、、床につつつ、と指を滑らしてみた。くるっとひっくり返すと、しろい指先に灰色のほこりがくっついていた。


「やだ、鬼太郎さん、いつからお掃除してないの?」
「え、いつからかなぁ…ふ、ふえっくしょん!」


一度出てしまうとなかなかおさまらないのか、心地よくふく風にのせられ室内を漂うほこりに誘発され、鬼太郎はへっくしょんふあっくしょんと連続でくしゃみをした。窓際で外の方に顔を出していた猫娘よりも、床に寝っ転がっていた鬼太郎の方がほこりの恩恵を受けてしまったらしい。
その様子を見て、猫娘ははあ、と一息。


「…お掃除が必要ねぇ、鬼太郎さん。」


すこしジト目で自分を見る猫娘に、鬼太郎はばつが悪そうに明後日の方向を向いた。元来それほど掃除が嫌いなわけではないが、冬の間は寒くてあまり動く気がしなかったのと、あたたかくなったら今度はのんびりするのに忙しかったのとがあり、ここしばらく掃除を避けてきていたのだ。まさか春の風にこんなツケを払う羽目になるとは。鬼太郎はずび、と鼻をすすり、すっかり掃除する気まんまんの猫娘を見た。彼女の後ろの窓の外では、春の陽ざしに輝く葉と葉がこすれあい、光の海のように見え、それだけで眩しくて、思わず目が細まって、


「鬼太郎さん!」
「…きびしいなぁ。」


ずずいと険しい顔で自分を睨む猫娘に、鬼太郎はうーんと頭をうなだれた。このままではたぶん、部屋から追い出されてしまう気がする。意識して視線を床にはわせれば、たしかにふよふよとわたぼこりが舞っている。しかしそれ以上に、窓からこぼれる、こすれ合う葉のわさわさと揺れる影と光がどうにも魅力的だ。これなら外で昼寝をしても気持ちよさそうだなぁ、なんて考えたら、それはとても良い案のように思えて、うん、と鬼太郎はいくらか通るようになった鼻をすすり、猫娘の片手をとって立ち上がった。


「鬼太郎さん?」
「外に行けば、あまり問題はないと僕は思うんだけどなぁ、猫ちゃん。」


すこしとぼけるように言えば、猫娘はむっと眉間にしわをきつく寄せた。


「だめよ鬼太郎さん、そうやって逃げたって、」
「それに、」


猫娘のもう片方の手もとり、鬼太郎は猫娘を立ち上がらす。


「こんなに良い天気なんだもの。掃除でつぶしてしまうよりも、猫ちゃんとお昼寝する方がずっといいと思うんだ。猫ちゃんはそうは思わない?」


鬼太郎はにっと笑って、猫娘の手を強くひいた。抗議しようと口を開いた猫娘も、結局は諦めてなすがままに歩を進める。心なしか、少し頬が赤い。今日の夜、くしゃみがとまらなくなっても知らないんだから、と恨めしそうに猫娘は呟いた。


「そのときは、そのときかなぁ。」
「…しょうがないひとね、」


猫娘が、ほんとうに困ったわ、というように微笑んだ。


外に一歩踏み出せば、あたたかな陽ざしと、少しだけ冷たい風。部屋のなかよりはすこし肌寒いけれど、花に埋もれて一緒に眠ってしまえばちょうどいいかなぁなんて考えながら、鬼太郎はひとつ、ちいさいくしゃみをした。




夜の苦痛<春の眠り