暗いトンネルを二人で歩く。道路の利便上作られた、狭くて短いトンネル。人通りも少なく、少し前を歩く鬼太郎の下駄の音だけが響いた。


「なんだか寒くなってきたね。」
「そうだね、冷えてきたね。」


コンクリートに囲まれたこの空間は、おそらく平常でも寒いのだろうけど。トンネルに入る手前の、空の色を猫娘は思い出した。鉛のような鈍い色を帯びた、雲のかかったあの空。そういえば、天気予報は。


「雪だ、」


鬼太郎の言葉に猫娘は顔を上げる。トンネルの出口、暗いここよりは明るいそこには、白い雪が舞っていた。


(寒波の到来、夕方には、雪が降る。)


猫娘は後ろを振り向いた。トンネルの入り口。目を細めても、雪は降ってはいなさそうだ。つまりはこの、頭上のコンクリートの上、ここのどこかに境界があるのだ。雪の始まりと、終わりの場所が。


「父さん、雪ですよ。」


鬼太郎が、髪の毛の中の父親に声をかけた。目玉の親父は少しだけ顔を出すと、どうりで寒いはずじゃ、と再び鬼太郎の髪の毛の中へ潜り込んだ。
鬼太郎はそれを目の端で確認すると、そのままトンネルを出た。降り始めらしいその雪はまだ細かく弱々しく、地面に着けばすぐに溶けて消えた。
まだトンネルの中の猫娘は、その光景に足を止めた。あと一歩踏み出せば、トンネルは終わりを告げる。


「…猫娘?」


立ち止まった猫娘に、鬼太郎は振り向いて首を捻った。猫娘は空を、雪を、どこか不思議そうに見ている。鬼太郎は二、三歩あるいて猫娘に近づいた。


「どうしたの?」


鬼太郎に雪が降る。猫娘はそれを見つめていた。透明なカーテンがあるかのように、暗がりの一歩先には雪が降っているのが、たまらなく不思議で、少しだけ不安になる。トンネルの先の光景は、雪が舞っている以外は見慣れた場所の筈なのに。


「トンネルに入る前は、雪、降ってなかったよね。」
「そうだね。」


そうだよねえ、と猫娘が曖昧な笑みを浮かべれば、鬼太郎は顎に手をあてて、考える素振りをした。雪は次第に粒が大きくなり、うっすらと積もり始めている。鬼太郎の頭や肩にも。それでも猫娘は、戸惑うように視線をさ迷わせた。一歩先、トンネルの出口に、どうしても行くことができない。不安とも、恐怖とも違うような気がする。鬼太郎は、そこにいるのに。


「…猫娘、」


暫く考え込んでいた鬼太郎の、顎に添えられていた手が猫娘の方に伸びた。体温の低い手が、猫娘の手に触れる。そのまま鬼太郎が一歩下がれば、引かれるままに猫娘も一歩踏み出す。あ、と思った瞬間には、猫娘の頬にひんやりと、冷たい白いものが触れた。雪だ。猫娘は少し、目を見開いた。積もりかけの、少し水っぽい雪を踏む音がする。


「寒いねぇ。」
「…うん、寒いね、」


帰ろう、鬼太郎が笑って、歩きだす。手を引かれるまま、猫娘も歩く。冷たい空気に触れた指先が冷えるけれど、鬼太郎の、低く穏やかなぬくもりがそこにはあった。 猫娘は一度、トンネルの方を振り返った。ぽっかりと暗い、コンクリートのその上には、鈍色の空に染められた薄青、しんしんと降る雪。どこが雪の始まりで、終わりであったかはもう分からない。トンネルの中で感じたあの気持ちは、どこかへ飛んでいっていた。それは口から空へと昇る吐息と共に消えたのか、それとも繋いだ手の先から、鬼太郎が吸い取ってくれたのか、それは猫娘にはわからない。けれど、


「猫娘?」
「…なんでもなーい。」


猫娘が小走りして隣に並べば、鬼太郎は少し首を捻る。猫娘はふふ、と笑った。


「さ、早く帰ろっ。」


猫娘が、繋がれた鬼太郎の手をぎゅっと握り返した。そこにあるぬくもりを、確かめるように。鬼太郎が、薄く笑った。


空の薄青は暗く落ち、夜が迫っていた。手を繋いで、二人は暗闇へ。トンネルから続いていた足跡が途切れて、真新しい雪に埋もれていった。




トンネルの向こう