「どこか遠くにいきたいなぁ。」 ゲゲゲハウスの中、伏せられた茶碗のひび割れを見つめていた猫娘が、ふいに呟いた。ごろりと横になっていた鬼太郎が、薄く目を開ける。猫娘はぼんやりと、主の不在の茶碗を見つめていた。自分が今、出した言葉にも気づいていない様子で。 「どこって、」 思わず呟いた鬼太郎の声に、猫娘は驚いて鬼太郎を見た。 「…あたし何か言った?」 やはり無意識だったのか、鬼太郎は少し眉を寄せた。聞き流すべきだった。普段ならばそうしているのに。これが自分に向けられたものであったのなら、鬼太郎はそうしていた。猫娘がぼんやりと、茶碗のひび割れなど見つめていなければ。 「言ったよ。」 「うそ、」 「言ったさ。…それで?」 起き上がった鬼太郎に、猫娘は下を向いた。鬼太郎は猫娘を見つめている。ここに茶碗の主がいたならば、きっと逃げることができた。猫娘が、それよりも鬼太郎が。 「それでって、」 「だから、どこへ行きたいの。」 鬼太郎の問いに、猫娘は口をつぐんだ。自分の膝頭あたりばかりを見つめている猫娘に、鬼太郎はますます眉を寄せた。 「…別に、なんでもないのよ。」 「…そう、」 小さく呟いた猫娘に、鬼太郎は舌に広がった苦さを、黒いものを飲み込んだ。どこへ行きたいの。なんでもないのよ。…なんでも、 「あ、親父さん帰ってきた?」 カラスが一羽飛んできて、目玉の親父が顔を出した。猫娘が立ち上がり、お湯を沸かしに行く。おかえりなさい、と鬼太郎が言えば、先ほどの雰囲気など、なかった、ように、 「…父さん、」 「なんじゃ?」 「…いえ、何でもないです。」 鬼太郎は首をふって、再びごろりと横になった。目玉の親父は首を傾げたが、茶碗に湯が注がれるとすぐ、その暖かさに身を沈めた。 鬼太郎は父親の茶碗の、ひび割れを横目で見た。細かく小さなそれ。そこには人間の街か、猫のすみかか、地獄か、飛騨か、…それとも、あの蒼の、 (ここ以外のどこか、なんて。) あるはずがないだろう、もしもそう言っていれば、猫娘はどうしていただろう。ひび割れは草の根のように。立ちのぼる湯気に、やはり逃げられなどしなかったのだと、鬼太郎はきつく目を閉じた。 |