彼女に隣を許したのは、いつの頃からだったか。 思えばだいぶ前から、彼女は僕の隣に座っていた。 何をするでもなく、何を喋るでもなく、ただどこか一点をじっと見つめ、時にはヒバードを目で追いかけ、地に着かないちいさな足を行儀良くきちんと揃えて、背筋を伸ばし皮張りのソファに座る。 黙々と書類の整理をする僕のとなりで、まるで空気のように、いつまでも、彼女は隣に居続ける。 「飽きないの?」 ぽつりと呟いた僕に、彼女は少しあかくなって、小さく首をふった。ふぅん、とまた書類に目を戻した僕に、彼女がもごもごと呟いた。 「ひば、りさんは、ど…して…。」 その声はちいさくて、ほとんど掠れていて、僕がもう一回言って、と言うと、彼女はますますあかくなって首をふった。そうして彼女はまた空気に戻ったけれど、何となく、呟きの答えを聞きたそうだった。 そして今、彼女は相変わらず、何も言わずに僕の隣にいる。 あのころのように足をきちんと揃え背筋を伸ばして。 ただ、あのころよりはいくぶん、雰囲気が穏やかになった気がする。いや、昔はピリピリしていたというわけではなく、彼女の緊張がだいぶほぐれたという意味で。 それだけの時間がたって、そうして僕も、あの日の彼女の呟きの答えがわかったような気がした。 わざわざソファーに座って仕事をしていたあの頃の自分がおかしくて、笑ってしまう。そして、今の自分も。 昔はよくわからなかったのだ。 どうして自分が彼女を隣にいさせるのか。いてほしいと思うのか だから僕は、あのときの彼女のちいさな呟きを、聞こえないふりをしたのかもしれない。 「ねえ、飽きないの?」 終わった書類をまとめながら、いつかの質問を僕は呟いた。 彼女はやはり、あのときと同じように首を横にふった。 地に足が着くようになった彼女。 とき,おり僕の方を見て、こっそり微笑むようになった彼女。 それでも背筋を伸ばして、僕の隣にいる彼女はあのころと変わらないから、きっとあのときの答えも、変わっていないと思うんだ。 だから、今ならちゃんと答えてあげられるから、ねえ、イーピン。 他人を寄せ付けないあの人が、わたしを隣にいさせてくれるようになったのは、いつの頃からだろう。 昔はそれが嬉しくて、どきどきして、緊張して、ひたすら応接室のソファーのあの人の隣で、押し黙って小さくなって、あの人の顔も見れないまま、時間がたつのを待っていた。 あの人はそんなわたしのことを全然気にしていないように、わたしの隣で黙々と仕事をしていた。 わたしはあの人に、お仕事大変じゃないですかとか、わたしはここにいていいんですかとか、色々ききたかったし何か気の効いたことを言うべきじゃないかとかぐるぐると考えていたけれど、ぴったりと閉じた唇が動かなくて、結局何も言えずに黙るばかりだった。 「ねえ、」 そうやって過ごしていたある日、ふいにあの人が口を開いた。わたしはようやくそこで、僅かに首を動かした。 「飽きないの?」 あの人はわたしを見て、そう言った。今までどこともなくさ迷っていたわたしの視線が、書類に向けられていたあの人の目が、あの人の声でぴたりと合って、わたしは気恥ずかしくて、顔をあかくして小さく首をふった。 そんなことないです。 あなたと一緒にいれるだけで、それだけで、 頭のなかでは言葉が溢れてくるのに、わたしはやっぱり何も言えなくて、また下を向いてしまった。 あの人がふぅん、と言って、また何事もなかったように仕事にもどってくれたので安心した。 そして、今。わたしは相変わらず、あの人、雲雀さんの隣にいる。 雲雀さんが仕事をする姿は昔と変わらず、ただわたしはあのころよりもだいぶ緊張はしないで、ときたま雲雀さんの方を見つめてはこっそりちいさく笑うようになった。 飽きないの? いつかの雲雀さんの質問にも、たぶん今なら、ちゃんと言葉を返せる気がする。そして、あのときの答えをきけるのだと思う。 二人座るソファー。その意味を、なんとなく、わかってしまったのだ。 「ねえ、」 書類に目を向けていた雲雀さんが、ふいに呟いた。 「飽きないの?」 ぴたり、黒い瞳がわたしを見つめる。 わたしはその言葉に、ちいさく笑って、少しだけ頬があかくなった。 応接室は今は遠く、あなたは学ランではないしわたしもあのころみたいな、緊張で押し黙るしかできなかった子供ではない。 ねえ、雲雀さん、きっと今なら。 わたしは心のなかで、あのときの言葉を繰り返した。 雲雀さんは、どうしてわたしを隣にいさせてくれるんですか? お互いの瞳がぶつかって、多分想うことはひとつで、今も昔も変わらない。 今なら黙りこんで首をふるんじゃなくて、聞こえないふりをしてそらすんじゃなくて、ちゃんと言葉にできるから。 つまりは、 となりにちょこんと いてくれた君が、あなたが、昔から、今もずっと、愛しいから。 |