ふわり、とその男に似つかわしくない香りに、雲雀はスン、と鼻を鳴らし、眉をしかめた。


「…笹川了平。」


雲雀が呼ぶと、数歩先の笹川が振り返る。


「なんだ?」
「女とでも会ったのかい。」


君にしては珍しい、と呟く雲雀に、笹川は自分のスーツの匂いをかぎ、ああ、と呟いた。


「そうだな。」
「随分甘い匂いだね。」


もう一度鼻を鳴らした雲雀に、笹川は軽く笑って、


「まあ、な。」


と楽しそうに歩いていった。
雲雀は相変わらず眉をしかめたまま、すぐに笹川とは反対側に歩いていった。





「雲雀さん、おかえりなさい!」
「うん。」


数ヶ月ぶりの自分の家で、一番に雲雀を迎えたのはイーピンだった。雲雀は満足そうに頷き、イーピンの頭を撫でる。イーピンが恥ずかしそうに身をよじり、少しあかくなった顔が笑顔になって、


「雲雀さんお疲れでしょう?お風呂とか、沸かしといたんですよ。」


と言ってくるりと方向を変え、家の中へ入ろうとした。
小さく揺れるふたつのみつあみと、ふわりと漂った香りに、


「…?」


雲雀は眉をしかめた。


「イーピンちょっと待って。」


雲雀が呼びとめると、イーピンはなんですか、とすぐに雲雀の方を向いた。再び香る、覚えのある匂い。


「……。」


雲雀は無言でイーピンの頭を自分の方に引き寄せた。イーピンがちいさく悲鳴をもらして、ぽすんと雲雀の胸におさまった。


「ひひひひひばひばひばりさ…、」
「君、香水つけてる?」


真っ赤になってあわてふためくイーピンとは対象的に、雲雀は盛大に眉をしかめ、鼻を鳴らした。


シャンプーや石鹸など自然な香りとはちがう、妙に甘ったるい匂い。
嬉しそうに笑った笹川からした、あの、


「…あ、はい。…笹川のお兄さんにもらったんですけど…。」


おでこを胸に押しつけられたイーピンは、くぐもった声でごにょごにょと呟く。
予想が当たった雲雀は、盛大にため息をついた。
おそらくいつもの笹川の土産攻撃に、イーピンが屈したのだろう。


「で、あの、つけてみてほしいって言われたから、その、つけてみたんですけど、」


黙ったっきりの雲雀に不安になったのか、イーピンがゆるゆると雲雀の胸から顔をあげる。
雲雀は複雑な面持ちでイーピンを見つめていた。


まがりなりとも幼い頃からの知り合いの好意を、無下にできなかった気持ちは雲雀にだって多少はわかる。わかるが。


「…気にくわない。」


目の前の、頬をあかく染めた彼女と、嬉しそうに笑った笹川からしたあの、甘ったるい匂いが鼻をつく。


「イーピン。」


眉を下げこちらを見るイーピンの腕を掴み、そのまま家の中に入る。


「え、あの、雲雀さん、」
「お風呂。」
「へ?」
「お風呂、沸いてるんでしょ?」


ずるずると引っ張られるがままのイーピンが、はい、と戸惑いながら答える。
返事を聞いた雲雀は口元を歪め、わざとらしくにっこり微笑んだ。
その笑みに、イーピンは嫌な予感がして、思わず立ち止まる。


「どうしたの?」
「あ、あの、どうしてわたし、えっと、腕…。」


あかいのかあおいのかよくわからない顔色のイーピンは、しどろもどろに雲雀に問う。雲雀は相変わらず笑顔で、


「一緒に入るからに決まってるでしょ。」


とのたまった。




「ええええええあのあれいやあのあのぅ!」


ボン、と煙が出そうなほど顔を真っ赤にしたイーピンが、雲雀の手から逃れようとぶんぶんと腕をふる。


しかし雲雀は全く動じず、がっちりとイーピンの腕を掴み、悲しそうな顔をした。


「なに、嫌なの?」
「え、いや、そういうわけではなくいやそういうわけでもありいやそうではなく!」

雲雀の表情に焦ったイーピンは必死に言葉を繕うが、それでも何とか雲雀の腕から逃れようと尚も腕をふり続けた。


「ああもうめんどくさいな。」


暴れるイーピンに痺れを切らしたのか、雲雀は突然イーピンの方を向き、彼女の腰に手を回して、ひょい、と肩に担ぎ上げた。


「きゃー!なななななにするんですかちょっと雲雀さん!」
「君うるさいよ。こうじゃないほうがよかった?」


にやりと雲雀が笑みを作れば、イーピンが真っ赤な顔で意地悪です、と呟いた。


「ねぇ、匂いついたんだけど。」
雲雀が鼻をひくつかせながら言う。


「知りません。」


大人しくなったイーピンはつん、と拗ねたように言い放った。それに雲雀は苦笑しつつ、


「まあいいか。全部洗い流すんだから。」


と言って、意気揚々とお風呂場に消えていった。







「哲、これあげるよ。」


にこやかな雲雀と、その手にある彼に似つかわしくない小瓶を見比べ、哲はため息をついた。


「…また、ですか。」
「仕様がないじゃない、イーピンが捨てるのは悪いって言うんだから。」


哲は再びため息をついて、雲雀から小瓶を受けとる。ピンクの液体の入った、繊細な細工が施されたガラスの小瓶からは、微かに甘い匂いが漂う。


「蓋をしていても匂うんだからね、イライラする。」


雲雀はふい、とそっぽを向いた。そんな雲雀の様子に、哲は苦笑しつつも、困ったように眉を寄せる。
笹川の土産攻撃は、今に始まったことではない。かなり前から続いているのだ。
当然、その数は半端ではなく。


(こういう小瓶ならまだいいですが…。)


哲は部屋の一角を占める、雲雀がイーピンから取り上げた「土産」の山に新たに加わる小瓶を見つめて、肩を落とした。




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