綿雪のリボン



「きたろー。居る?」
静かな家に、突然明るい声が聞こえた。
簾が開かれ、ひょこりと顔を覗かせたのは猫娘。入口から顔を出し、ぐるりと中を見回す。狭い部屋の中にはひとの気配はない。どうやらこの家の主たちは留守のようだ。
「――なぁんだ。いないのか」
小さく唇を尖らせ、残念そうに呟く。彼女の手には二つの袋があった。
足下を急に冷風が流れた。寒さが少し苦手な猫娘は身を縮め、急いで主のいない家の中に入っていった。
「おや。猫娘ではないか?」
不意に高めの声が響き、猫娘は背筋を硬直させて立ち止まった。だが、その声は知った声であり、猫娘は驚きに固まった身体を弛(ゆる)め、声のする方を振り向いた。
窓枠の上に、丁度化け烏から降り立ったばかりらしい姿の目玉親父が居た。
「あ、親父さん。出掛けてたの?」
「うむ。少しばかりヤボ用でな」
そう言った目玉親父は身軽に窓枠から飛び降り、猫娘の近くに歩いてきた。猫娘はしゃがんで目玉親父をその手の内に掬(すく)いあげた。目玉親父の小さな身体はすっかり冷え切っている。
「おお、寒い寒い。猫娘や、悪いが……」
「分かってる。お風呂の用意でしょ?」
猫娘はにっこり微笑むと、目玉親父をちゃぶ台の上に誘(いざな)い、伏せてあるいつもの茶碗の中にお湯を入れるべく、二つの袋をちゃぶ台の上に置いてから勝手知ったる家の中を動き回った。目玉親父がその袋を見て、近寄った。どれも手に触った限り柔らかで、一つは袋の中から匂って来るものから、またたび餅と理解出来る。では、もう一つは何なのだろう。
「猫娘や」
「なぁに? 親父さん」
「この袋の中身は何なのじゃ?」
やかんに少なめのお湯が沸き、少しだけ前腕内側で湯の温度を確認した後、猫娘はやかんを持って茶碗に湯を注ぐべく戻ってきた。目玉親父を茶碗に入れ、ゆっくりと飛沫がかからないように注ぐ。目玉親父が湯の中で寛いだのを見て、ちゃぶ台の前に腰を降ろした。
「これね、またたび餅だよ」
「それは分かるが、もう一つの方じゃよ」
「ああ……これは」
言いかけて、猫娘は急に言葉を噤(つぐ)んだ。ほんのりと頬が明るい色に染まっている。それだけで目玉親父はよく分かった。微笑ましい、と思うが、頬を染めた理由になる息子は今留守である。行き先も、分かっている。
「ねぇ、親父さん。鬼太郎は?」
明るい頬のまま、猫娘は目玉親父に尋ねた。
「ん? ま、まぁ……なぁ」
目玉親父は口籠(くちごも)った。猫娘の気持ちがよく分かるが為、言うに躊躇いが生じる。その目玉親父の姿を見ただけで、猫娘は諒解してしまう。
「あははっ。今日はクリスマスだっけね。鬼太郎ったらユメコちゃんと一緒なんでしょ? 親父さん」
カラカラと笑う。一瞬感じた切ない響きもすぐ上手く隠された。ここでまだぶつぶつと文句を言ったり拗ねてもらった方が、目玉親父としては慰めようがあるのだが、猫娘の笑い声はそんな目玉親父の心労をつっぱねる。
「そっかそっか。クリスマスだもんねぇ。人間界の行事に鬼太郎もすっかり慣れたもんだねぇ」
そう言いながら、猫娘はまたたび餅の入った方でない袋の中にごそごそと手を入れ、何かを取り出した。
「はい。親父さん」
両手の親指と人差し指でちょんとつまんで持ち上げたものは、生成色の小さなセーター。編目も丁寧で、猫娘の器用さがうかがえる。
「わしにかの?」
「うん。プレゼント」
猫娘は言った。
「あたしも、人間界の行事にあやかってみたんだ」
そう微笑む猫娘の姿を見て、目玉親父は目を細めるように表情を歪め、茶碗風呂から出た。猫娘が渡した小さな手ぬぐいで身体を拭くと、目玉親父は手作りのセーターに袖を通してみた。
「――ちょっと、キツいかの」
「ごめん……」
「否々、“だいえっと”しようと思っておったんじゃ。少し痩せれば丁度良くなるじゃろうて」
しゅん。と項垂れる猫娘に、目玉親父は笑った。
上手いもんじゃよ。と笑う目玉親父に猫娘の気持ちは少しだけ救われた。ふと過ぎる不安定な気持ちを払うように、猫娘は軽く首を横に振り、笑い、席を立った。
「親父さん。あたし帰るね」
「何じゃ、もう帰るのか? もう少し待っておったら鬼太郎の奴も……」
「ううん。――帰るよ」
猫娘の気持ちは固い。まるでこの寒さのように応えるわい。と、目玉親父は内心思った。
雪が降るのではないか……。そう思われる冷たい風だった。
その中を、鬼太郎は帰ってきた。鬼太郎の首にはホーリーグリーンのマフラーが巻かれている。天童ユメコからのプレゼントだった。
「只今帰りました」
冬の日は傾くのが早く、鬼太郎が戻ってきた時は、辺りは夕闇迫る淡い紫色の景色に染まっていた。
ユメコの家から出てきたのはまだ昼を過ぎたばかりの早い時間であったが、鬼太郎は途中でふと人間の店に立ち寄ってから戻った為、思ったより帰宅が遅くなった。
「遅いぞ、鬼太郎」
「すみません、父さん」
ちゃぶ台の上で腕を組んで仁王立ちしている父に、鬼太郎は頭を下げ、「ん?」と、ある違和感に気付いた。
目玉親父がセーターを着ている。
「父さん、それは?」
「猫娘からのわしへの“くりすますぷれぜんと”じゃ」
自慢気に話す父に、鬼太郎は眉根を寄せた。
「猫娘が来たんですか?」
「お前が外出している間にの」
目玉親父はそう言って、猫娘が置いて行ったまたたび餅の入った袋の中に身体を乗り入れ、中から一つ美味しそうな餅を取り出した。
「お前も食べるか? 鬼太郎」
嬉々として話す。これは本当に美味いぞ」
鬼太郎はポケットの中にねじ込んでいるものを強く握った。
「……出掛けてきます」
そう言うと、鬼太郎は袋の中からまたたび餅を二つ取り出して、綺麗な布に包み、家を飛び出した。
「あんまり遅くならんようになぁ!」
目玉親父は走りゆく息子の背に、言った。


妖気を頼らずとも、猫娘の居場所は何となく分かっていた。
ゲゲゲの森から少し離れた所にある開けた場所。ここは、春になると一面の花にあふれ、彩りも鮮やかに映えるのだが、今は花の無い淋し気な顔を覗かせている。猫娘がよくここに来ている事を鬼太郎は知っていた。前に、ここで弦楽器を弾く猫娘の姿を見た事があるからだ。春頃になると猫娘の身体から花の香気がたつ事がある。それは、この場所に咲く花の香りそのままだった。
ぼんやり座っている猫娘を見付けた。
灰味がかった紫の寒々しい風景の中で、猫娘の赤は花のようによく映えていた。
鬼太郎は改めてポケットの中のものを確認し、猫娘に近付いた。
「やっぱりここだ」
背後から聞こえてきた声に、猫娘は振り仰いで鬼太郎を見た。暮色の空の下ででも明るく目に映るのは何故だろう。と、猫娘は不思議そうに鬼太郎を見たが、その首に巻かれている深い緑のマフラーを目にした時、冷たい風が胸をよぎったように思えた。
「綺麗なマフラーだね。手作り?」
声音に冷たさを含まないように注意しながら猫娘は言った。
「あ。うん。ユメコちゃんから貰ったんだ」
猫娘の反応をうかがいながら鬼太郎は言った。猫娘は表情に氷を含ませる事無く、いつもの笑顔を見せていたが、逆にそれが鬼太郎には痛く刺さった。鬼太郎は短時考えた後、ポケットの中で握っていたものを放し、布でくるんで持ってきたまたたび餅を取り出して、猫娘に一つ手渡した。
「持ってきたんだ。一緒に食べようと思って」
猫娘が何か言おうとしたが、鬼太郎は構わず隣に座り、またたび餅を頬張った。
「やっぱり猫娘の作るまたたび餅は、美味いなぁ」
鬼太郎の幸せそうな顔に、猫娘は思わず顔をほころばせた。そして、鬼太郎が手渡してくれたまたたび餅を自分でも食べた。いつもの自分の作る味なのに、猫娘は特別美味しく感じた。
笑みが、漏れる。
猫娘は脇からそっと袋を取り出した。
「はい、鬼太郎」
そう言って、鬼太郎に中のもの――目玉親父とお揃いの生成色のセーターを渡した。いつ、サイズを測ったのだろうか。否、サイズ等測らなくてもいつも近くにいる猫娘だ。器用に見た目の大きさで作ってくれたのだろう。柔らかそうな風合いのそれは、とても温かそうだった。
鬼太郎は、両手で受け取った。
「有難う」
「ううん。――でも、マフラーがあるからいらなかったかもね」
クスクスと笑う猫娘。彼女の笑顔には邪気が無い。
その猫娘の鼻先に、ふわりと白いものが落ちてきた。
冷たくて、白くて、そして柔らかな綿のような雪が、音も無く降り始めた。
「初雪だね」
猫娘は天を見上げながら言った。鼻の頭が少し赤くなり、ブラウスとスカートだけの薄着の猫娘は寒そうに見えた。
鬼太郎は自分のちゃんちゃんこを脱ぎ、マフラーを取った。そして、それらを猫娘の身体に纏わせてあげた。ちゃんちゃんこを着せられ、マフラーをつけられるまで、猫娘はされるがままであったが、鬼太郎が自分の作ったセーターを着た時に、漸(ようや)く思考が追いついたような顔をした。
「これっ、ユメコちゃんから貰ったものでしょ?」
猫娘が慌てて外そうとするのを、鬼太郎はやんわりと止めた。
「だって猫娘、凄く寒そうだ。女の子は身体を冷やしちゃいけないんだよ」
――ユメコちゃんが鬼太郎にあげたものなのに。
そう思うと何だかユメコに悪い気がしてしまう。が、やはり、嬉しい。その気持ちは正直だ。
鬼太郎の真面目な言い方に、猫娘は素直に身につけたまま頷いた。
「あったかいよ、猫娘」
鬼太郎が、言う。「でも、これはちょっと大きいかな」
見ると、肩周りや腕の長さにもかなりの余裕がある。目玉親父の時とは反対だ。猫娘は赤くなり、恥ずかしそうに俯いた。
「……ごめん」
「これから先も大事に着られるんだからいいよ、別に」
「着て……くれるんだ?」
猫娘の目が光を纏う。星の光が宿ったような輝きに雪が重なった。鬼太郎は眩しげにそれを見て、少し照れながらも頷いた。
猫娘が、咲(わら)った。
鬼太郎は思い出したように、ポケットから小さな紙包みを取り出した。
「これ……僕からの……」
クリスマスプレゼント。――口の中での小さな呟き。
猫娘が受け取ったそれは、真緋(あけ)色のリボンで、先端に綿雪のような白い綿毛がついていた。

<fin>


「風と花びら〜妖怪奇譚〜」の大和さまの素敵企画より、フリーだったものをもらってきましたvv
それにしてもこの戸田くん、男前です…!
だってちゃんとクリスマスプレゼントを用意しているんですよ!!
前半の猫娘と親父さんの会話も好きです^^
親父さんも、なかなかの苦労人(笑)

大和さま、ありがとうございました!

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